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大日如来にやすやすと近づけないことは、この次元に生きている以上、確実だった。それは、時間がなんとかしてくれる。明美もうすうす知っていた。だから、考えても仕方のない事のように、どうしても思えた。

遍路は肯定の付いた現実逃避のきっかけであるし、内面に秘めたアンチ・スピリチュアルと閉塞感だらけの社会を見つめる一形態の取り組みで、空海というものを、遍路のそれにすえることによって、一般人が考えそうな形而下的世界が、自分を変える反応物になるのではないかという世間知らずの淡い期待だ。

一方で、期待とは未来に依存して今を失うことでもあると、セネカ(哲学者)は言い、

「ある程度に考えろ」

という、およそ、思考のフラグをあらかじめ立てておき、最大公約数的にそれに近づければいいのである。

実際、考えすぎると、物事は鮮明になるが、複雑にもなり、また、それに対してどう思考しているのかと考え出すと、結果、自分に嘘をつく。

「そんなつもりじゃなかった・・・」

という場面は数えきれない。
人は、進む速度でしかモノが見えない。車や電車では、路地裏一本、見つけ出せない。

遍路とは、じっくりと自然と向きあい、何かがわかったらそれを頭の片隅に常において、時間を潰していればいいもので、課題を持って時間を潰せというのが、明美が出した解だった。