チキンカツトマトソース(3個目)

三個目のバーガーは、チキンカツトマトソース
体は名のとおり、まさしく、チキンカツ・トマトソースである。

構成は、いたって普通で、モ◯バーガーにでも売っていそうなひねりのなさ。
とはいうものの、下手に何かを狙ったり、形而下的観念の執拗な具現化、従来の形から入る短絡的な下品さ、あざとさがない点は、県人バーガーとして安心感がある。

それでは、トマトソースのかかったすだち鶏をパクリ、と、順調に食べて終わりたい。

ところが、だ。レタスの下に塗られているマスタードが、トマトソースと混ざり、相殺し合いながら別物のタレになり、入れなくてもいいきゅうりと同時に噛んでしまうと、実に残念な味と食感になってしまうのが、白ヘビがムカデになってしまったような蛇足さである。

しかも、とくしまバーガーのホームページに載っている画像とはかなり違っていて、名前も若干、異なる。これは、もしや別物か?

この記事の趣旨は、なにもとくしまバーガーにいちゃもんをつけるのが目的なのではなく、コンセプトに対する一つの意見としての発信だ。
だから、褒めるべきは褒め、貶すべきは貶すという、それだけのスタンスのみでやっている。誤解なきよう。

なのに、同床の悪夢のような、筆の置所を知らぬかのような手の込みようは、いじることが改良進化と疑わない、性質は違うが例えれば、スーツを着て一定時間パソコンに向かっていないと仕事をしていないかのような評価が下る、日本のIT企業のような、閉ざされたイノベーション世界にどこか似ている。

そこに、とくしまバーガーであるという限界がある。
おそらく、履き違われた形式への拘泥が、かえってバーガーの可能性を狭め、どこかナナメから捉えてしまう原因なのではなかろうか。

そこで、こういう呼び方を提案する。

「とくしまバーガー」

そう呼ぶことにより、回転寿司屋のように、シニフィアンとシニフィエとでもいう、『意味しているもの』と『意味されているもの』を区別して互いに開放の境地が見えてくる。
本来、ケーキや唐揚げは寿司ではないが、寿司の皿に乗ると寿司なのだとする、ソシュール(言語学者)も驚きのレトリックで、とくしまバーガーを捉え直そう!

いま、組合の連中がやっていることは、シニフィアン(=意味しているもの)に重きを置き、
その説明を手垢が付きすぎた地産地消や地域活性化という言葉に絡めとって、

「いかにもな徳島の食材を使えばええんじゃ!」

という、行動原理が、原理主義のように参加者に伝わってしまい、笑わずにはいられない産物となる。

実際のところ、いかにも、な、徳島の食材を使わずとも、バーガーを完成させることは可能であるし、その辺のスーパーで売っている徳島産の野菜や、ブランドの肉ではなく、ごくごく普通の徳島の肉をつかって、コストも計算しつつ、ときには、既製品に頼る。
そうやってできたものにこそ、手軽さや誠実さが宿るのであって、大切なのは、シニフィエ(=意味されているもの)であると、あえて難しく書いておく。

そんなことを書いていると、チキンカツトマトソースの記述が減ってしまったが、ソースをどちらかに絞れば、まずまずなバーガーといえるだろう。

最後に、わたしは、やさしくないので、あえて言う。

「徳島県民は過激なテロリストか?!食材の原理主義が味覚を滅ぼす!」