フィッシュカツバーガー(2個目)

とくしまバーガーについてもの申す企画。
二個目のバーガーは、フィッシュカツ・バーガー

その名のとおりの見目形。とくしまバーガーを知ったとき、間違いなく登場するであろうことを予想して、ついに出会った。

フィッシュカツとは、魚のすり身を揚げたものをいう。それを、挟んだものが、これである。

カツが大きすぎて、案の定、はみ出す。その上には、ゆで卵とニンジン。下にはレタスが潜り込んでいるが、それらをまとめるために、ハヤシソースがたれている。

一見、シンプルではあるが、みすぼらしい感じがするのは、カツが買えないからハムカツで我慢しているかのような、昭和中期の哀愁が漂う。
徳島でのフィッシュカツの位置付は、微塵も疑ってはならぬソウルフードだ。
しかし、統計的に、徳島県人はそれほどフィッシュカツを食べてはおらず、全国メディアで取り上げられるという外圧によって、思い出したかのように郷土愛を確認する、そういう感じの揚げ物だ。

特色は、さほど、ない。ないから、カレー味などでごまかす工夫が施されるが、昨今流行ったトマト鍋のごとく、何でもトマト味、何でもカレー味という味覚の単純化を、果たして、従来のバンズが挟んでよいのか?カレー味にハヤシソースは、どういう意図の挑戦なのであろうか?
それには、壮絶な違和感をおぼえる。

かくして、頬張れば、ハムカツサンドにも引けをとらぬ、みすぼらしさが、パサパサとした食感とともに腹の底に落ちていく。ゆで卵が添えられている意味は知れない。

かれこれずっと、そういうことが、抵抗もできぬ違和感として、後ろめたくも食んでいた。
それでも、大したボキャブラリーのない地元メディアには、おいしい、やわらかい、コクがある、という程度の語彙で片付けられてしまい、味はともかく、スカスカのバンズになど挟んで美味しいかという検証がなされないままに、認定が与えられてしまった。
まるで、小松島という地理的バランス感覚に配慮しただけのバーガーであるかのように。

話はそれるが、本来、認定が必要なのは、フィッシュカツの方ではないかと思う。
製造会社は多々あるが、「個性豊か」のウラ側で、定義をまとめられない不自由さが見え隠れしていて、共通する価値での統制がないまま、結果、広告とメディア受けという数の争いで、郷土愛を揺さぶられ、かぎりなく人工的に作られたソウルの呼び名が嫌なのだ。

人の味覚の基本は、二食ないし三食の家庭で食べる料理にこそある。
しかし、その家庭料理は崩壊の危機にあり、外食大好き、脂っこいもの大好き、糖尿病全国第一位の華々しい徳島県人が、味についてあれこれ論じるのは、埒外なのかもしれないが、何もわかっていないような「舌」で不問に付されていく違和感に、向き合う気概が必要だ。

好みは、いろいろ——。
それは、思考を止める魔法の言葉。

固定観念を打破せよ。
それは、古いものを大事にしない進歩主義。

わたしは、やさしくないので、あえて言う。

「何でもカレー味という無難さに浸りながら良し悪しを語るな!これが本当に美味いか、グルメな舌で判断してみろ!」

フィッシュカツの悲劇、それは、常に「カツ」と比較されるということ。
それを乗り越えるためには、寛容な心と「別物である」という認識と決別、後ろを振り向かないフロンティア精神。
そういう、高度な精神鍛錬を経て、はじめて、
「美味い」
といって頬張りたい。

カレー味に、ふらつくな。

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