徳島縣護國神社・例大祭

20121102-195009.jpg

20121102-195014.jpg

本日は、徳島県護国神社で例大祭がありました。

徳島の議員、政治家、公務員のみなさま、ちゃんと参拝されましたでしょうか。
特に参拝されなかった政治家の方々は、今日で議員バッジを外しましょう。

獅子と狐は、政治家のあるべき条件であると思っているので、わかりやすい不正義に、いちいち噛み付くほど筆者は野暮ではありませんが、日本の歴史の中に生まれてきた以上は、日本人をやらせてもらっている意味を考えたい。

どうも、徳島県の連中は、兎と狸のように見えるが・・・。

それはそうと、いつ訪れても、このひどく真新しい護国神社が気の毒でならない。
新しいのは、遷座して9年くらいしか経っていないためであるし、少し、物悲しさを感じてしまう原因は、人が立ち寄りにくい場所にある。

元は、眉山にあったが徳島城に移り、史跡がどうの政教分離がどうのと雑賀町に追いやられてしまったイメージである。
神社など、人々が気軽に立ち寄って、境内で子どもが遊んでいたずらし、神主の血圧を上げるくらいでちょうど良いのだ。

不思議なもので、日本における政教分離とは融通がきかず堅物で、政治と宗教を分け隔てるだけでなく、宗教を嫌い、修学旅行では神社や寺を子どもに見せないという教師もいるのだという。
そもそも政教分離とは、特定の宗派に政治が肩入れするのをやめましょうというだけのもので、米国の大統領だって、就任演説の際は、聖書の上に手を置くというのに。

だが、こんなバカバカしいことに吠えたところで、日本人として生まれてしまったら、何か大きな力に束ねられた神道が、身体の芯に通っていることからは、逆らえないのだ。

いくらクリスマスが楽しいといっても、翌26日には正月モードになっており、年が明ければ初詣、人が死んだらナンマイダー。と、何かにつけて拝んだり祈ったりしているのは、多神教の日本人であるからだ。
そこには、宗教がどうのという意識はなく、この護国神社も、はやく徳島城に戻してほしい心境だ。

政教分離は、徳島の“なんとかの科学”と“なんとか実現党”だけにしておくれ。