権威に死んでいただくという再生

 安倍政権になって、訪日外国人が爆発的に増えた、というニュースをよく耳にする。
 中でも中国人の爆買ツアーなど、日本の好景気を支える重要なお客様としてへいこらしているありさま。

 一方で、中国韓国などへの感情は過去最悪であり、これらの国籍をもつ人間が日本で凶悪事件を起こすなどよくある話になってしまった。

 筆者は、単純な排外主義者ではないので、外国人が日本の文化伝統に興味を持ち、皇室や日の丸に敬意や税金を払いさえすれば、どうぞ帰化でもご自由にというスタンスである。
 日本語が話せなくとも、思想的改造を施されなくとも、日本という国は門徒が広く、世界の国々とは大違いだ。

 他方、信頼度抜群の日の丸や菊の紋に守られながら、それを拒否して自由への束縛と捉える日本人も少なくはない。
 先日の、国立大学長会議では、ほとんどの大学長が国旗掲揚・国家斉唱への強制に難色を示した。驚くことに、ほとんどの大学が、国旗こそ掲げるが、国歌を歌うことがないのだという。
 ちなみに、公立や(宗教・外国系を除く)私立はほぼ100%、国旗国歌を掲げているにもかかわらず、だ。

 しかし、当然のようにも思える。戦後は共産勢力がNHKを初めとする言論や教育機関に入り込み、国民の思想を形作ろうとしてきた。
 日本人の感覚では奇妙なものほど「権威」として扱われ、いささかゲーム脳のような論理である。

 筆者の住む徳島には、そこそこ良い国立大と三流の私立大しかない。
 これらの大学に所属する教授などの思想的発言を見ていると、いわゆる権威と呼ばれる国立大の方に共産色が垣間見え、おバカ大学の教授は、しごく一般的であったりする。

 徳島の問題を話し合う「有識者」のたいはんも、こういう思想的に残念なメンバーによって構成され、権威として処理されるありさまに。筆者は、国立という権威のついた場所に所属したことは一度もないが、国立に所属していった純粋真っ直ぐな知人は、例外なく奇妙な奴が多かった。。。

 安倍政権が掲げる教育再生は、こういう「権威」におバカと唱えることではないのか?