駐車場とラーメン屋

昨日の記事の続きを書きたい。
あれは、あくまでフィクションだ。ただ、警鐘でもある。しかし、間に受けてもらっては困ります。

筆者の言いたいことは、車社会とまちづくり法が高齢化を加速させ、結果、若者が消えるということだ。
若者が消えるのは恐ろしい。それは、街の消滅と直結だからだ。

若者が都会に出るのはいいことだ。見聞が広がる。どんどん出ていけ。しかし、帰ってきたいと思うほど、徳島は魅力のある街でもない。魅力がないから、お偉いさんは東京や大阪で暮らし、残ったパァが「お偉い」として、代々のファミリー利権になっていく。

そういう社会においては、ときとして、「能力」を「パワー」としてみなされ、寄って集って潰される。そして、潰した後で、
「人材がいない・・・」
と嘆くのだ。

だから、地域の成熟が遅れ、「公」というものが育たない。育たないから個人主義に走り、自律性がなくなる。自律性とは、いろんなものがそこそこ怠りなく備わっている状態のことをいう。
筆者は、国交省や土建屋の見方ではないが、「怠りなく備わっている状態」を築くには、まずは、インフラが要ると言っているのだ。その姿こそ、マオたちの住む世界(徳島)である。

そもそも、インフラを無駄としか思っていないこの県民は、教育の基本に根があるが・・・。手始めに、徳島における読◯新聞である徳◯新聞を県民は購読を止めなければならない。

それはさておき、まずは、幾度も提案され続けてきた行政の自主性なきバリア・フリー化をどこかで止めなければならず、そろそろ、「バリア・アリー」という視点から物事を眺めてもらいたい。
バリア・アリーとは、バリア・フリーとは対象的に、あえて障害物を残し注意を喚起し、リハビリにわざと障壁を残そうという考え方である。つまり、靴に足を合わせてばかりの萎縮社会の補助ばかりをするのではなく、あれこれと整えてやって、
「後はご勝手に」
という社会が望ましい。不自由に閉じ込めるのではなく、インフラによって社会とのつながりや経済の活性、買い物難民の解消、運良くば、基礎体力の維持につながり、医療費も減るかもしれないのだ。
昔の年寄りは、八十を越えても、近所の店に買い物に出ていた。富山がライトレールを整備したところ、年寄りがアクティブに動くようになったことは決して偶然ではないだろう。

とはいえ、川内、松茂に路線を引くのは無理なのでは?問題ない。この地区一体を、
「津波プレイン」
として指定すれば、区画整理は意外と容易だ。(※この地区は浸水予定に入り、避難困難地区に指定されている)

津波プレインとは、オーストラリアでいう「フラッドプレイン」のことで、要は、そこに住むことが危険な場所を指定し、当然、住むにはリスクが伴うという自己責任を求める。指定を受けると、地価が下がり住民も怖がって移転するので、跡地に路線を敷き、行政機能を移し、防災拠点を兼ねた複合施設を作ればいいのだ。
土地を手放したくない住民は、リスクを承知で住めばいい。この手の住人は、行政も無視(責任はない)して良いのだから。

そういうことをやるうちに、意図しない作用がエコシステムとして進化する。むろん、矛盾の芽も出る。しかしそれが、有機体としての「まち」なのだ。

ビルが潰れて、駐車場かラーメン屋。そんな徳島に、おそらくみんなが追いやった・・・。