紀元節(2675)

kigen2675

 日本国さま

 2675歳のお誕生日おめでとうございますm(__)m
 これからも、いつまでも、稲穂の実る瑞穂の国は、連綿と続くことでしょう。

新嘗祭

今日は、新嘗祭(にいなめさい)であります。

おそらく、宮中祭祀の中でも一番大事な行事であると思われますが、世間では米国型レイバーデーっぽい勤労感謝に“祝日”でよかったよかったと無邪気に休んでおります。

この日は、日本で一番重要な日であるといっても過言ではないのに。

新嘗祭とは、いわば収穫祭で五穀新穀を天照大御神をはじめ神話に出てくる神々に進め、食し、感謝するもので、天皇陛下自らがイネから育てた米も含まれております。

なぜなら、「地上は自分の子孫が治めるべきである」と天照大御神が、孫のニニギノミコトを送り出し、その際に、稲穂を渡して栽培方法を伝えよと仰せになられた。

その子孫が歴代の天皇であり今上天皇で、つまり、日本は“米の国”なのであります。
なのに、歴史がなく英国式のジェントルマン感覚も乏しい人工国家を「米国」と呼ぶ凄まじき違和感・・・。
あまり報道されませんが、天皇陛下はこの日のためにせっせと田植えをして米を育てられます。

これは、日本の起源や歴史に感謝しているといってよく、勤労を感謝するという発想が筆者にはどうも理解できない。

そんな大事な日に、民主党も日本維新も経済界も口を開けばTPP!TPP!
関税自主権や突き詰めれば治外法権という主権問題でありますが、日本の成り立ちを考えたとき、その上に財界の利益を位置づける感覚がもはや日本人ではない。

もちろん、国益のためには成長することにこしたことはないが、大事なのは、“発展”よりも、日本が日本であるための“継承”で近代主義下における“国益”とはオマケでいいのだ。

そんなことを語る政治家は皆無で、右か左かというディバイド・アンド・ルールさえも曖昧で判然としないだらしない国は、皇祖神の云うように、永遠に続いていくであろうか・・・?

徳島縣護國神社・例大祭

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本日は、徳島県護国神社で例大祭がありました。

徳島の議員、政治家、公務員のみなさま、ちゃんと参拝されましたでしょうか。
特に参拝されなかった政治家の方々は、今日で議員バッジを外しましょう。

獅子と狐は、政治家のあるべき条件であると思っているので、わかりやすい不正義に、いちいち噛み付くほど筆者は野暮ではありませんが、日本の歴史の中に生まれてきた以上は、日本人をやらせてもらっている意味を考えたい。

どうも、徳島県の連中は、兎と狸のように見えるが・・・。

それはそうと、いつ訪れても、このひどく真新しい護国神社が気の毒でならない。
新しいのは、遷座して9年くらいしか経っていないためであるし、少し、物悲しさを感じてしまう原因は、人が立ち寄りにくい場所にある。

元は、眉山にあったが徳島城に移り、史跡がどうの政教分離がどうのと雑賀町に追いやられてしまったイメージである。
神社など、人々が気軽に立ち寄って、境内で子どもが遊んでいたずらし、神主の血圧を上げるくらいでちょうど良いのだ。

不思議なもので、日本における政教分離とは融通がきかず堅物で、政治と宗教を分け隔てるだけでなく、宗教を嫌い、修学旅行では神社や寺を子どもに見せないという教師もいるのだという。
そもそも政教分離とは、特定の宗派に政治が肩入れするのをやめましょうというだけのもので、米国の大統領だって、就任演説の際は、聖書の上に手を置くというのに。

だが、こんなバカバカしいことに吠えたところで、日本人として生まれてしまったら、何か大きな力に束ねられた神道が、身体の芯に通っていることからは、逆らえないのだ。

いくらクリスマスが楽しいといっても、翌26日には正月モードになっており、年が明ければ初詣、人が死んだらナンマイダー。と、何かにつけて拝んだり祈ったりしているのは、多神教の日本人であるからだ。
そこには、宗教がどうのという意識はなく、この護国神社も、はやく徳島城に戻してほしい心境だ。

政教分離は、徳島の“なんとかの科学”と“なんとか実現党”だけにしておくれ。

神嘗祭

10月17日は、神嘗祭(かんなめさい)です。

神嘗祭は、賢所(天照大神の御霊代として鏡を置いている所)に新穀を供え五穀豊穣を祝う神恩感謝の祭典(大祭)です。

平成で分断

女性宮家に関する4回目の有識者ヒアリング。

サヨク傾向があるので、概ね賛成で、
「調査会を作れ」
と表明して終わった。

本当は、国民的議論にしたくなく、影でこっそり決めてしまいたいのだろうが——、
そもそも、日本人には「国体」というものを理解させねば、女性宮家がなんだというだけで終わってしまう。

いちいち書くのも気が引けるが、国体とは、国民体育大会・・・ではなく、
天皇のことである。
左翼の連中は、天皇を制度と呼び、格差と失敗の頂点にしたがるが(それらの頂点は、紛れもない労働組合であるが)、世界の捏造・人工国家の中において、断絶することなく神話から続いてきた日本の支配なき自己統治という立憲君主は、世界には到底、マネの出来ない日本の「国柄」というものだ。
これらを「国体」と呼ぶ。

それが途切れることは、日本の終わりを意味する。しかし、六十余年前、GHQ製の憲法は、時限爆弾を仕掛けた。
女性皇族は結婚すると一般人になる。天皇は、男系男子に限る。というもの。つまり、現状では、愛子内親王殿下は、天皇にはなれないのだ!

ということは、順序的に、悠仁親王殿下しかいないが、恐れ多くも失礼を承知で、

■成人するまでに死ぬかもしれない
■成人しても結婚できないかもしれない
■結婚しても子どもができないかもしれない
■子どもができても女かもしれない、死ぬかもしれない

しかも、側室はいけないときたならば、このような、無謀な条件下で皇室を途絶えさせないというのは、現実的ではない。

それを男系固執論者は(主に保守)、カルト的に反対してダメだという。安倍晋三も平沼赳夫もその一人だ。
デビィ夫人は、皇位継承の順番を変えろとまで言う!

天皇は人間である。人間宣言すら本当はしていない。だから、平成は、百年も二百年も続かない。
そんな当たり前の議論が、国防意識もない国民の無関心と、親米保守の男系固執により、カルト的に阻止され続ける。

歴史の連続が大事であるのに。